虞山尚湖

春秋戦国の時、呉の王様阖闾は軍隊を率いて斉国を攻めてきた。斉国の斉景公がやむを得ず、末っ子の娘、孟姜を人質に呉国に送った。孟姜は、ホームシックにかかり、また、夫が亡くなり、鬱々して病気になった。亡くなる前に、故郷を眺めるために、虞山に埋葬してくれと頼んだ。孟姜が亡くなってから、呉王は彼女の意志にしがたい、孟姜を虞山の辛峰に葬った。「辛峰」は、明代に付けられた名であるが、その「辛」には、「辛い」という意味があり、おそらく孟姜のことを偲んで付けた名ではないかと思う。

 「斉女、墓枯れて枯れ木が老いる」というのは、明代の詩人の描写である。今になって、斉女の墓はどこにあるのか分からなくなっている。南宋の時、辛峰に「望湖亭」というあずまやを建て、その後何回も修繕し、名も数回変えた。「極目亭」とか、「達観亭」とか、最後に「辛峰亭」に落ち着いたのである。

 常熟は湖の水郷である。古代の人は、竜が出没して村に迷惑を掛けるという迷信に恐れて、川の両側に裸麦を植え、竜の行動を拘束しようとした。裸麦の葉っぱは剣のようで、竜はそれにあえてふれないと信じていた。辛峰亭を作るのも、竜の災いを治めようとするものである。中には石碑があり、上に竜を殺す許真君の肖像がある。石碑は今にも存在している。

 辛峰亭は六角の屋根で二階建ての構造である。造形は軽やかで端麗である。その形は、典雅な呉国のメロディーに合致していて、また常熟人と供になって、親しみを感じさせる。まさに虞山の代表的な建築である。

 辛峰亭に登って下を眺めれば、常熟の古城と新区は一望の元に納められる。南へ眺めると、また、二つの湖が目に飛び込んでくる。昆承湖は、ややもやもやして、宋代の詩人の徐次鐸の「極目亭」の詩のごとく、「幾点、帰帆は暮れる煙を破り、数行、雁の文字は、霞の辺に落ちる」である。尚湖は城と山を側にして、緑は広々と広げていき、波がきらきらと輝く。まさに黄公望の描いた絵のごとくである。

 虞山を仰ぎ見て、城壁外の山々は、緑をいただき、鳥は巣へ急ぐ。耳に自然の音が充満している。「耳清埃が到らず、あに図らんや、桃源郷を聞く」という明代の詩人王珙の名句は、ここでヒントを得られたではないかと思う。