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湖山堂、双亭

2012-03-12    admin    Browsed:2250

 

湖山堂は、日本式の煉瓦と木で作った楼閣である。楼閣は湖の畔に建てて、軒は低くて、周りに歩廊がある。湖に面している母屋には、低い窓が並び、素質で自然である。屋外には、湖に繋がる台があり、それも湖と一体化になり、造作なく親しみを感じる。部屋の中は広くて明るく、構築は精巧雅である。窓の中は蘭の花が香りを匂わせ、窓の外は、細い竹がユラユラ。窓の持たれて座れば、青々した山々、悠々とした碧水が懐に抱かれるような気がする。楼閣と草木、互いに輝き合う。
      双亭は東南の文人銭謙益と一代の佳人柳如是の恋のシンボルである。銭謙益の号は、牧斎で、位は官至吏部侍郎に達していた。彼は弱冠の時からその文才で東南に知られている。詩人として、呉偉業、龔鼎孽と肩を並べ、「揚子江の左にある三人の大家」と言われているが、三人の中でもトップの座を取っている。史学者として、早年に『太祖実録弁証』を五巻書き、人々はそれを、『虞山(銭謙益)尚在り、国史未だに死なずにいる』と賞賛している。文章家としても名は広く知られて、「文章の泰斗」と言われ、王世貞の後にもっとも文壇を賑わわせていた。奥さんの柳如是はまた、才色兼備の美人で、「秦淮八人の美人」の一人である。彼女は、才能が優れていて、琴、棋、歌、舞、詩、詞、書、画など、すべて精通している。彼女の作成した詩と賦は、高い造詣があり、特に詞は、銭謙益さえも及ばないと嘆くほどの優れものである。彼女は、清朝に反対し明朝を復活させる運動に参加して、民族気節を明らかにして、「女傑」という褒められている。
      柳如是は、虞山の銭謙益という学者が、杜牧の生まれ変わりと聞いて、その風采を仰ぎ見るために、「船に乗って虞に来る」。二人は、世俗の決まりを破って、良縁を結んだ。当時、柳如是は、24歳で、銭は、還暦に入っている。二人は、拂水山庄に泊まり、朝晩ともに読書や談義、または書籍の考証などをしていた。年齢の差が大きいにもかかわらず、二人の愛情は深まるばかりであった。
      清軍が南京に入ったとき、銭は、柳の「義を取って節を全うし、以て盛名に合わす」という勧告を聞かず、髪の毛を剃って清に降参した。柳は、秦淮水に投じて国のために殉死しようとしたが、銭に必死に止められていた。ある日、銭と柳はともに拂水山庄を遊んでいた。銭は靴を脱いで石澗に流れている澄み切っている泉で足を洗おうとした。そのとき、柳が、「この溝の水は、もう秦淮の川の水にあらず」と冷笑した。銭は、「汝非ず、我が殉死なりぬ」と悔やんでいた。二人は見合いながら苦笑していた。
      銭謙益がなくなるや否や、その家族に異変が起こった。柳如是は、銭の親族に田圃や住宅を奪い取られ、財産を求められていた。柳がそれに耐えきれず、娘に、「私の仇は、汝と汝の兄とともに、汝の祖先に頼んで打っていただきたいものだ」と遺書を残した。