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虞山尚湖民間伝説 唐伯虎が虞山を描く

2011-12-06    admin    Browsed:2098

明代の「呉門四才子」の一人、唐寅は、虞山の絶好の風光に惹かれ、ある日、わざわざ常熟に来て遊覧していた。虞山の秀麗な姿を満喫するために、彼はわざわざ、埠成門の外で船を頼んで、黄公望の「月夜に孤独な船を漕ぎ、西郭門の山沿いに行く」という路線を辿った。尚湖の水面でゆっくり漕ぎながら、粋のある唐寅は船から湖の光や山の色を楽しみ、十里にわたる蒼茫たる虞山を眺めながら、思わず深く感動して、すぐ、墨を研ぎ、筆を執って、虞山を描き出していた。しかし、一枚画いて、また近くにある虞山を見ると、自分の画いたものを本当の虞山とは、似ていないところがあり、完璧を求める彼は、また、もう一枚、画いてみた。できあがったらさらに比べてみると、やっぱり満足できない。そして、一枚、また一枚、書き続けていた。が、描いた絵をいくら見比べても、どれも腑に落ちないところがあるようで、その日、唐寅は船の中で昼飯を食べる時間以外、虞山に向かって、休むことなくずっと書き続けていた。夕方になり、船は山麓の水面を沿って戻ってきたとき、船の中には、唐寅の画いては丸める「半製品」でいっぱいだった。唐寅が船から離れようとするとき、船頭がその紙の山をさして、「持って行くのか」と聞いた。唐寅は、「ストーブの薪代わりに使いなさい」と言い残して、友人のところへ投宿し、翌日にまた、写生しようとした。
 船頭は、いささか絵に興味があり、その日の昼食の時の雑談で、雇い主の身分もわかったので、唐寅が行った後、彼はその紙の山をかき集め、一枚一枚広げて、観察したところ、さすが唐寅だけあって、その絵のどれもがすばらしい作品だった。数えてみれば、なんと七十一枚もあり、かなりの収穫であった。船頭はその後、唐寅の七十一枚ほどある虞山の作品を売り出し、あっという間に売られて、大金をもうけたのである。
 唐寅がなぜ、自分の描いた絵を気にくわないのかというと、彼は、虞山の秀麗なところは十分に理解できていなかったからだった。虞山は太陽の光と雲の変化にしがたい、また、広々として湖から立ち上った陽炎に纏わられ、時には隠れ、時には現れ、時には揺れ動き、あるいは青、あるいは黒、あるいは緑と、毎日七十二ほどの変化があった訳である。唐寅はその日、九仞の功を一匱に欠いて、七十一枚しか画いていなくて、結局は、虞山のすべての変化を画くことができず、きわめて残念なことになったのである。そのおかげで、常熟には、「唐伯虎が虞山を画く――似ても似てない」という語呂合わせが生まれてきたのである。